算命学*の歴史  

古代の中国の人々は、生きてゆくための知恵として、宇宙の星の動きや自然界を観察し続けました。そしてそこに大きな法則があることを発見し 『暦術思想』 として研究を重ねていったのです。
この暦術思想は以後一千年にもわたり試行錯誤が繰り返されました。その道程に五行思想および陰陽思想が参加し、占いのみならず広く仏教、儒教、道徳、学術、医術、戦術、宗教の原点となり、算命学もそれを土台とし、形成され、今から約2300年ほど前、戦略家としてその名を馳せていた 『鬼谷子』 が、これらを理論体系化し、軍略として算命学の原点理論を作り上げたといわれています。

中国における算命学

中国王朝はこの優れた軍略を、自国の権勢を維持するための奥義として重用し、長きに渡って一子相伝・門外不出としてきました。 第二次世界大戦後の中国で共産党革命が起こった際に、その膨大にして貴重な資料は、弾圧を避けた伝承者とともに中国から去り、算命学は生まれ育った中国から完全に姿を消すこととなりました。

日本における算命学の歴史

日本に算命学理論がもたらされたのは戦後になってからです。文化革命の弾圧を避けるため日本に退避してきた 算命学第十二代宗家 呉仁和氏から、算命学理論を受け継いだのが、故・高尾義政先生でした。
「学問は大衆の中に根ざしてこそ、初めて真の学問たり得る」 という信念のもと、高尾義正先生はそれまで門外不出だった算命学の膨大な理論を整理・統合し、昭和40年代に日本における算命学 『高尾算命学』として一般世間に公開されました。その後、『天中殺』という算命学の理論の一つが大ブームになったこともあり算命学は大衆の中に徐々に浸透していきました。

現在の算命学の姿と、これから

現在は、高尾義正先生が創設した『算命学総本校・高尾学館』を始め、直門下生によって作られた多流の算命学の学校が日本各地に数多く所在しています。それらの学校は各創設者の史観に多少の違いこそあれ、算命学の根底に流れる雄大な自然観・優れた理論は確実に受け継がれていると私は信じています。
これからは日本が拠点となって多くの人が算命学を学び、深め、より広めていくことでしょう。算命学が優れた人間学として、悠久の予知学として一層の成長を遂げることを、同じ算命学に携わる私は信じてやみません。
   *当サイトでは以後、高尾義正先生を宗家とする『高尾算命学』をもって『算命学』と書きます。
  ページのTOPにもどる↑