陰陽五行説を基に日干で本質を見る 

まずは日干から、あなたの本質がどのようなものかを探っていきましょう。
お手本になるのは自然の姿。五行説の説明を思い出してくださいね。
本質とは、目には見えない本能や性情を表します。あなたが意識せずとも働く、あなた自身の姿であり、あなたに与えられたお役目だと思ってください。
あなたという人間の入れ物が、どのような材質で作られているのか?
その材質はどのような性質を持ち、どのように動こうとし、何を求めて生きるのか?

日干は、本HPの 『自分の星を出しましょう』 で出した  『 あなたの命式と天中殺と星図 』 の中にある陰占命式部分の色の部分で、例題の命式図では辛になります。あなたの星を出し、の部分にどの十干が当てはまるか調べ、あなたがどのような本質を持っているのかを探ってみましょう。
前ページの《十干十二支の五行図》を人に置き換えたものと考えると解りやすいのではないでしょうか。
これは、算命学の 『 陽占 』 や、『 守護神 』 を考える上で、大変重要な土台となりますので、しっかりと身につけて下さいね。

日干-甲 『樹木』 ゆっくりと時間をかけて、まっすぐ大きく成長する人

自然界に例えると 『 樹木 』 となり、時間をかけてゆっくりと、そしてまっすぐ大きく成長するのがその性質です。人生の速度はゆっくりで、納得がいくまでその姿勢を変えることなく、着実に正道を行く人です。
活力に富み、穏やかで慎み深く寛大で、困っている人を助け守り生きていきますので、大樹に人々が寄ってくるように、いつしか皆の拠り所となりますが、そこへ到達するまでには長い長い時間を必要とし、時間をかけてゆっくりと成長することで、より素晴らしい大樹となり、枯れた後でさえ役に立つ人になるのです。
樹木にとって何よりも大切なものは 太陽(丙)と 雨(癸)。そして、根と葉のバランスをとる庚(斧)。
枝葉の充実は華やかさがあり、人を寄せる魅力を持ちまますが傲慢さを作り、逆に根は、表面には現れませんが隠れた実力となって足元を支えますので、水の与え過ぎによる根腐れを一番嫌います。雨(癸)は日干から見ると玉堂星星ですので、理屈をこねすぎたり、また、母親の溺愛も注意が必要ということになります。

五行の中の唯一の生き物である木性は、季節によって人に与える印象の違いは大きいですが、どの季節に生まれても、自然界から授かったその役割は 『 守ること 』 に違いはありません。 単独、あるいは集を率いて守っていく姿がその役目というわけです。

日干-乙 『草花』 柔軟性があり、したたかで芯の強い人

同じ木性でも、陽と陰ではかなりイメージは違い、日干乙は自然界で例えると、背の低い『草花』などの1年草になります。草植物は、どのような場所でも発芽し、成長しますね。種を運ぶ手段も多岐にわたります。芽を出し成長する際には、たとえ風雪にさらされてもそれに真っ向から逆らうことなく適応していきます。
また、単独では弱いので群生することで身を守る術も持ちます。日干乙の人

日干乙の人は、どんな人とでもどんな環境の中でもしたたかに生きることのできる人で、そのために自分というものを表面に押し出そうとはせず、常に受け身の姿勢でありながらそれでいて取り込まれてしまうことは無く、自分というものを保って生きる人です。
やはり木性ですので季節によって大きく印象が変わりますが、役目というものは同じで 『 守ること 』です。ある時は他の力を借り、集となって何かにもたれ。絡みます。集を率いて守るわけです。

力の弱い季節に生まれた者は観賞用となって人の目を楽しませ、、力の強い季節に生まれたものは作物となって実を付けます。
甲と違い、枯れては役に立ちませんし根は浅いので斧(庚)はあまり必要ありませんが、程よい量の雨(癸)と太陽(丙)が不可欠な事は同じです。

日干-丙 『太陽』 いつも明るくおおらかで、前向きに人生を楽しむ人

自然界に例えると『太陽』となり、いつもキラキラと輝く人です。日干丙の人
太陽は、私達の住む地上のはるか上空から、1年を通して規則正しく全ての物、全ての場所を照らします。ですので、この太陽(丙)を日干に持つ人は分け隔てなく、平等でありのままの光の恵みを伝え与えることを役目とします。光の恵みが何を意味するのかは人によって違いますが、恵みであることには違いないのです。
天上にいるため、どこか浮世離れしている印象があり、こだわりが少ないのも特徴となります。いつも自然体ですので必死さがなく、趣味や遊びに没頭したりと、限られた範囲内で何となく好き勝手をしている印象も受けます。生まれつき根アカな性格なだけに、努力や忍耐を怠って浅く広くの生き方を続けていると、自分だけが輝いて、周りに光を与えるという本来の役目ができない人になりますので、注意が必要です。

日干-丁 『灯火』 暗いところを照らす灯。暖かいけれど、繊細で不安定な心の持ち主。

丁は人工の 『 灯 』 ろうそくや灯台、焚き木など人の手によって作られた火で、自然界では 『 月 』 をあらわします。日干丁の人人の手によるということは間接的になり、範囲は限定されることになります。
火というものは、暗闇を照らしたり寒いところへ暖を与えたりするために人の手によって作られるのですが、そのためには自分自身を減らして分かち与えていかなければなりません。
ですから日干丁の人は、いつも内側に一抹の孤独感というものを秘めながら、外に対して明るさと熱とを放ちつつ燃えていることになり、それが大変デリケートで繊細な心を作るのです。情に脆く、暖かで優しい人なのだけど、何を考えているのか他人には決して心の内を見せない人になります。
また、火はマッチ1本で着いたかと思うと、あっという間に広がって山火事を起こしたり、それ以上になると『爆発』を誘発したりし、かと思うと、水をかけられることで瞬時に消えます。
そういうものが『熱しやすく冷めやすい』性情を作り、スピードがあって、取りかかりは早いけれど長続きしないといった行動になります。気持ちの変化が激しく、好き嫌いがはっきりした人ですが、感性の鋭さは十干中最大です。

日干-戊 『山岳』 行動力には欠けるけど、懐の深い頼れる人物

山は自ら動くことはありませんが、山の魅力を求めて人の方から山へ向かいます。
戊は自然界に例えると『山岳』
自分から動こうとせず、行動力というものをほとんど感じさせません。それなのになぜか周りの方から頼ってくる力強さと懐の深さを持っているのです。
算命学では土性を『財』と『愛』のシンボルとしていますが、それは土性が持つ安定性と、引きつける力が有るからこそです。
山は季節によって随分とイメージが変わるように日干戊の人も生まれ月によってイメージが違います。けれども、懐の深さや、安定感、人を引き寄せる魅力は、どのイメージになっても持ち合わせており、それが戊の役目となるのです。

日干-己 『大地』 粘り強さと優しさを持った、庶民性豊かな人

同じ土性でも、己は人が住む土地が自然界でのイメージです。
広大な平野・豊かな実りをもたらす田園・人の住む街など、己は広さと豊かさを持ち合わせています。
日干己の人は、その広さと豊かさで人や作物を育てるのが役目であるため、大変庶民的です。 気どりの無いざっくばらんな性格は、大きな魅力となって誰からも好かれるでしょう。
ただ、やはり土性ですので動きは少なく、どうしても受け身になってしまいます。表面には現わしませんが、自分の領域を守る時には大変な力の強さを発揮し、それが算命学で 『 妻の代表 』 といわれる所以です。

日干-庚 『金属』 鍛えられる事によって名刀となる可能性を秘めた、まっすぐで頼もしい人

『鉄』に代表される『金属』が、庚がもつ自然界のイメージです。
金属というものが総じて堅く冷んやりとしているように、日干が庚の人は大変堅くクールな質を持ちます。正直者で、情に流されることなく、理詰めで人生を進むわけです。

「鉄は熱いうちに打て」とよく言われますが、まさに庚は火性によって鍛えられる事が何よりも大切になります。鍛えられる事によって庚は武器となり、そこで初めて人の役に立つ姿になるのです 。
庚から火性を見ると 『車騎星』 『牽牛星 』 となり、これは西側・補佐の星であり攻撃力です。
鍛えられれば鍛えられるほど、クールな中にも暖かさが加わり、高い能力を持った、人格のある名刀・戦士となりうるでしょう。

金性の役目は 『人の役に立つ』 こと。
堅く冷たいだけの鉄くずのままか、鍛え抜かれた名刀になっているかで随分とイメージが違いますが、真っすぐで頼もしいという姿は全ての庚に共通するのではないでしょうか。

日干-辛 『宝石』 とても自意識が強く、デリケート。けれども品性の良さを持つ人。

同じ金性でも、陰の金性である辛金は「石」。 けれでも後に宝石となる 『原石』 です。
ですので日干が辛の人は大変な自意識の強さを持ちます。プライドの高さは十干の中で一番でしょう。
宝石が富の象徴であるように、辛の人は常により豊かになりたい、美しくありたいと願って止みません。そのため、現実環境と理想とのギャップが大きければ大きいほど、辛はストレスを感じ、それがデリケートで傷付きやすい性格を作り出していくのです。
辛には、生まれつき華やかさ・豊かさ・品性というものが備わっていますので、外側から磨かれる事で宝石としての価値がいっそう上がります。
外側とは環境であり、自分以外の力を言います。

宝石の研磨の基本は土の中から掘り起こし、たくさんの水で洗う事。
その後に太陽の光で輝かせてもらえれば、最高でしょう。

日干辛金の人にとって土性は龍高星・玉堂星性になり知識。水性は鳳閣星・調舒星ですので風流心。
自分が原石である事を自覚し、余計な神経は使わず 自信と余裕を持って時を待つのが幸せへと繋がります。

日干-壬 『海』 束縛を嫌い、常に新しいものを求める夢とロマンの自由人。

  

ゆったりと、はるか遠くまで流れていく『大河』や、果てしなく広がる『海』といった大きな水の流れが、壬が持つ自然界でのイメージです。
日干壬の人は、そのゆったりとした姿から、大きな志を持った人となり、常に夢やロマンを追う人となります。
水性は五行では習得本能となりますので、壬の人には知恵があり、どのような問題でも物事の本質をよく掴みながら 柔軟に処理できる力が備わっています。
けれども水の流れは、それが大きければ大きいほど停滞することを嫌います。よどんで濁ることを何よりも嫌うのです。そのため、日干壬を持つ人は、常識や安定といったものから束縛される事が苦手です。放浪したり、非常識な人と思われる事も多いでしょう。
季節による変化も大きく、氾濫したり、枯渇したりし、周りにも多大な影響を及ぼします。
そのため、日干壬を持つ人は、自分だけではなく、周りをも巻き込んでしまうほどの大きなパワーを持ちます。
それは単にトラブルメーカーということではなく、斬新なアイデアやユニークな発想となって社会に貢献できる力であり、それこそが日干壬を持つ人のお役目といえます。

季節によって水の勢いを調節する土性が開運のポイントとなるでしょう。

日干-癸 『雨』 慈愛に満ちた、思慮深い常識人。

大きな水の流れであった陽の水性・壬水に対して、陰の水性である癸水は、『雨』 『露』 『小川』 等のような少ない量の水(真水)をイメージとします。
水が全ての生き物にとって必要不可欠であるように、日干癸は、母性のような慈愛の深さがあります。全ての人に対して優しいのです。
また、水自体では形を成さず、器によって自由に形を保つという独特の質は、順応性となって実用性を持つ知恵となります。
壬水のようなダイナミックさは無いものの、生活の役に立つ知恵をあみだしていくのが陰の水性の知恵です。

降った雨が川に集まり、海に流れ出るのには相当な時間がかかりますし、一適一滴の雨が飲み水になるのにもたくさんの時間が必要なように、日干癸の人は長きにわたって積み重ねることで実力をつけていきます。
時間をかけてゆっくりと努力していく姿はたいへん地味ですが、それをやり遂げた時の日干癸の姿は見事です。
ただ、水が上から下へと流れる性質であるため、精神的に落ち込みやすいのが最大の課題となるところです。水源になる金性が開運のポイントとなり、陽占に直すと玉堂星・龍高星になりますので、両親を含めた指導者の存在が運勢を大きく動かす要因になるでしょう。

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